白河提灯まつりについて

白河提灯まつりのいわれ

日本三大提灯まつり(白河・弥彦・一色)の一つに数えられている白河提灯まつりは、白河地方の総鎮守として、古くから人々の尊崇を集めてきた鹿嶋神社の例祭として、四世紀に渡り隆盛を極め、白河の人々の精神文化の歴史、いわば心のよりどころとして、伝えられてきました。現在行われている神輿の町内渡御・提灯行列・屋台・山車の引き廻し等の祭りの形態は、徳川家綱時代、藩主本多能登守忠義が神輿を寄進したことにより成立し、祭礼の型も幕府の許可を得て、別名【儀式まつり】といわれる程武家社会の格式を導入した独特の祭りで、伝統の文化として白河の地に受け継がれています。現在は、参加町も23町と当初に倍する数となり老若男女、市民をあげての祭りに発展しました。提灯の油紙を通しての火の美しさは、現代社会の電気の明かりとは異なる神秘的なもので、それらの集合体としての行列の流れる姿は見るものの心をとらえて放さない光の芸術といっても過言ではないでしょう。



提灯行列図




各町町印(ちょうじるし)



町印

町印の由来は定かでありません。しかし、本多能登守忠義公が鹿嶋神社に神輿を奉納し、一町を一大名に模した体系にしたことにより、大名の家紋に類した「印」を各町で制定し町内の団結と融和をはかったことが推察できます。



Infomation

先達(愛宕町)